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【筆者と自転車】④東京→仙台への挑戦とヒルクライムへの目覚め

筆者が自転車をはじめたのは、もう7年も昔の事になります。

【筆者と自転車】では、筆者の自転車との馴れ初め、そしてどうしてヒルクライムを楽しむようになったのか…を思い起こしながら綴ってゆきます。

どこにでもいるいちサイクリストの、どこにでも転がっていそうなお話しですが、自転車を趣味にしようか検討している方などに響けば良いなと思って、書いてみるものです。

▽前のお話

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目次

東京→仙台チャレンジ

ロングライドから逃げるようにしてヒルクライムへ

ヒルクライムにハマってゆく

ロングライダーからヒルクライマーへのシフト

 

東京→仙台チャレンジ

リンクで申し訳ありませんが、別の記事にまとめています。

こちらをご参照ください。

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ロングライドから逃げるようにしてヒルクライムへ

3月のはじめに東京→仙台に挑戦して失敗し、一気に自信が削がれました。

しばらく自転車に乗りたくもないとさえ思ってしまったくらいでしたが、ロングライドから一旦距離を置くかたちでヒルクライムを続けました。

きっかけは、家の近くの激坂をまとめたサイトと、豊富な写真で奥多摩の峠を解説していたブログに出会ったことです。

これらを拝読させていただいて、ヒルクライムという、ロングライドとは違った楽しみ方があることを知りました。

そして、家から近いなら行ってみようと考え、どんどん挑戦してみました。

ある時は高幡不動のガスト坂、百草園の激坂。少し足を伸ばして和田峠から奥多摩周遊道路、風張林道まで。

風張林道より

風張林道より②

読んだのと違わずものすごい坂で辛いのは事実でしたが、登ったあとの達成感にどんどん虜になってゆきました。

 

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ヒルクライムにハマってゆく

別記事の通り夢であった東京→仙台チャレンジに成功したのですが、その後も燃え尽きることなくヒルクライムを楽しんでゆきます。

夏には富士あざみラインまで自走しました。

馬返しでもうどうしようもなく、足をつきつつも登りましたが、最後は歩いて押しました。

後にも先にも歩いたのはあざみラインが最後で、その後は未訪のため、コロナが収まったらぜひリベンジしたいと考えているところです。

富士あざみライン5合目にて

 

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ロングライダーからヒルクライマーへのシフト

和田峠は一時期毎週のように訪れていましたが、20分を切る事はなかったです。

しかし、ある時いきなり17分台が出ました。最初はタイマーの故障かと思いましたが、その後に登っても同程度のタイムが出たことから、強くなったことが分かりました。そして、どこまで伸びるか試したくなりました。

一方で、ロングライドも楽しんではいました。

日光のいろは坂を登ったり、東京→仙台に再チャレンジしたり。

日光いろは坂

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しかし、東京→京都に挑戦して遥かに及ばず沼津で終わった時、ロングライドが怖くなりました。交通量が多いR1をひたすら走って、いつか轢かれるんじゃないかと思ってしまい、それが多少ながらトラウマっぽくなってしまった具合です。

そして、就活のために忙しくなってきたのも、実行にどうしても数日使うロングライドが難しくなってきた理由のひとつです。何百km走るとどうしても数日は身体が終わってしまうので、段々両立が難しくなってきました。

ヒルクライムなら自動車が少ないから、相対的に事故の可能性も低い。時間も短くて済む。

そう考えたのもあって、その後は(ロングライドを全くしなくなった訳ではないですが)滅法ヒルクライムにのめり込んでゆきました。

毎日練習するようになったのも大学3年の後半頃からです。忙しい中でも太りたくなかったのが一番の動機でしたが、家の近くの2分程度で登れる坂を10本と決めて夜な夜な登っていました。

1本目と4本目と7本目はシッティング縛りに、2本目と5本目と8本目はダンシング縛り、3本目と6本目と9本目はケイデンス120維持、10本目が全力…だったと思います。思い返すと特にケイデンス120維持が特に効いたように思います。

安静時心拍は陸上の頃で50くらいでしたが、大学3年の終わりごろには40近くまで落ちるようになりました。

また、体重も高校生の頃で63kgくらいでしたが、60kgを切るくらいまで削れてきました。

こうして、少しずつヒルクライムメインにシフトしてゆき、今に繋がってきます。

▽最後のお話

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