※この記事で掲載しているのは本ブログを立ち上げる前(2017.5.1)のライドですが、個人的な記録として残していたものを再編集しています。
目次
東京→日光ロングライド①きっかけ
昨年に成功した東京→仙台ライドに再挑戦しようと考えたのが、このロングライドのきっかけでした。
しかし、昨年同様のルートを辿っても面白くないなと考えたため、埼玉県中部から群馬を抜けて、日光方面から北上するルートを取ってみることにしました。
結果としては表題がネタバレになっているとおりで仙台にはたどり着けませんでしたが、波乱万丈のとても楽しいライドでした。
東京→日光ロングライド②東京都区内〜埼玉県
出発は午前5時前。交通量が増える前に東京を抜けてしまいたいという魂胆です。
明るくなりつつあるなか、多摩モノレール線沿いに北上。多摩モノレール線の下を走る道路は、路肩も広く非常に走りやすいです。
多摩モノレールの終点・上北台を過ぎて、多摩湖畔へ。早朝の湖を横目に北上して、埼玉県入り。
埼玉県に入ってからは407号線を延々北上して、荒川を渡って熱い街・熊谷へ。さらに北上して、利根川を渡って群馬県太田市に入りました。
初群馬です。ついにグンマー大帝国群馬県まで来てしまったかと思うと、感慨深いものがあります。
東京→日光ロングライド③疲労困憊の122号
そのまま桐生まで抜けて、122号線を北へ進んでゆきます。
122号線は、桐生以北については「わたらせ渓谷鉄道」そして渡良瀬川に並行して走る山岳路です。
渡良瀬川といえば、日本史を覚えておられる方からすると「足尾銅山鉱毒事件」を想起される方も多いのではないかと思います。
足尾銅山鉱毒事件は、明治時代初期に富国強兵政策のもと銅の大規模な生産が推し進められた足尾銅山がもたらした環境公害です。
この122号線に沿って走る渡良瀬川流域で、鉱毒による水稲栽培への悪影響等が発生しました。田中正造が問題提起を行ったことで知られます。
この122号の景色は、そんな暗い歴史を感じさせない風光明媚さです。山々と川が織りなす、美しい山岳路だと感じました。
道は美しいですが、山岳路としてはそれなりに辛い道です。イメージとしては、東京側からの道志みちに近い雰囲気です。
フル装備で14kgを超えていたのもありますが、延々50kmに渡る山岳路が身体をじわじわと痛めつけてきました。
ここまでは心拍計を見ながら最大心拍数の70%未満でコントロールして走ってきましたが、後半では90%に近づくことも。
疲労困憊しましたが、道中のコンビニなどで休憩もはさみつつ、気長に走りました。
東京→日光ロングライド④過去最長トンネル「日足トンネル」
122号を懸軍万里、一路進むこと50km、漸く日光が近づいてきました。
しかし、そこに最後の関門「日足トンネル」が現れます。
この日足トンネルは、全長2765mを誇る長大なトンネルです。過去走ったトンネルのなかでも文句なしのトップの長さです。
事前情報は仕入れていたため、後方ライトを全点灯するためにトンネル手前で停車。
居合わせたスポーツカーのおじさんから、「このトンネルは長いよ。横に迂回路もあるよ。」とご親切に教えていただきました。
好意を謝しましたが、疲れ切った身体で旧道のつづら折れを登る気にもなれず、結局そのまま突入しました。
走ってみれば、終始下り基調でほぼ40km/h近くを維持し、自動車に抜かれることもほとんどなく通り過ぎてしまえました。
ただ、逆に日光側からのアクセスであれば、途方もなく長い旅路に感じられたのではないかと思います。
トンネルを抜けて、分岐を左へ。ここまで来たらやはり登らざるを得ません。日光いろは坂です。
東京→日光ロングライド⑤日光いろは坂
日光いろは坂は、コーナーひとつひとつに看板が建てられています。
道幅は大変広く、勾配は全般通じて比較的緩め。フル装備でも登ることは出来ます。
登っているとうしろからけたたましいクラクションを鳴らされました。
走行位置も別に邪魔な場所じゃないし何だかなあ…と思って振り向くと、同い年くらいかと思しき男子数名がこちらに手を振っていました。
こちらも手を上げて振り返し。旅人同士の一瞬の交歓、警音器使用制限違反ですがあたたかい気分になりました。
じわじわと登っていると、後輪から「パーン!」という金属質の何かが弾け飛ぶような音が。音には聞き覚えが有りました。
そうでないことを祈りつつ停車して振り向くと、案の定…スポークが折れていました。
自転車のホイールは、リムという外周部の部品を、中心軸のハブから棒線状のスポークで支えています。
スポークは全体でホイールという構造を保っているため、1本でも折れてしまうとホイールが振れてしまいます。
完組ホイールなどスポークの本数が少ないホイールだと、スポークが折れてしまった場合はまともに走れなくなることもあります。
スポーク折れについては出先でどうにかできる手段はなく、選択肢はひとつ。「帰る」のみです。
引き返すか…と思ったところで気づきます。日光いろは坂、一方通行。登りきらずには帰れません。
結局、可能な限り後輪に重量を載せないよう、前に体重を寄せたダンシングで最後まで登りました。5km以上ダンシングしたかと思います。
疲労困憊しながら登り続け、ようやく明智平が見えてきて、思い浮かんだのは人気漫画「弱虫ペダル」のワンシーン。
2年次インターハイ編で、この日光いろは坂を舞台に、主人公が所属する総北高校の手嶋純太と、ライバル校箱根学園の天才クライマー真波山岳が勝負します。
そのなかで、真波くんをかわして明智平に向け先頭を走る手嶋先輩。
「多分 この景色 オレ 一生忘れない!」…手嶋先輩の言葉です。
自分の場合、全く別の意味で一生忘れない景色になりました。
そのまま中禅寺湖に回り、記念撮影。居合わせたロード乗りの方と談笑するなかでスポークが折れてしまった話をすると、ビニルテープをくださりました。
スポークが走行中に外側に出てしまうとホイールをロックして事故に繋がりかねないため、とてもありがたかったです。
他のロード乗りが困っているときには、助けられる人間でありたいものだなと改めて思わされました。
東京→日光ロングライド⑥帰途
ゆっくりといろは坂をくだり、日光駅から輪行。
宇都宮駅でみどりの窓口に並んでいると、輪行袋を指し示され、何処のメーカーの自転車かと訊かれました。
GIANTと伝えると、彼は大喜び。それもそのはず、彼は台湾から来たとのことでした。
彼は折りたたみ自転車で日本を回っているそう。彼の旅が良いものになると良いなと思いました。
△車窓より
東京駅からは、混雑した在来線での輪行は難しいかと感じたため、多摩川経由で帰宅。
まっくらな多摩川も、エコノムフォースがあれば怖くありません。
多摩川のちょっとしたスロープを登る際に2本目のスポークを折ってしまいましたが、それでもスポークが折れてから約40kmを無事に走り、自宅へ帰宅できました。
やはり28本スポークはこのような際には強いなと感じさせられました。
ハプニングもありましたが、総体として忘れられない旅になりました。また、日光いろは坂、そしてその先まで登ってみたいものです。