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【筆者と自転車】①自転車に興味を持つまで

筆者が自転車をはじめたのは、もう7年も昔の事になります。

【筆者と自転車】では、筆者の自転車との馴れ初め、そしてどうしてヒルクライムを楽しむようになったのか…を思い起こしながら綴ってゆきます。

どこにでもいるいちサイクリストの、どこにでも転がっていそうなお話しですが、自転車を趣味にしようか検討している方などに響けば良いなと思って、書いてみるものです。

目次

大学入学まで:筆者とランス・アームストロング

大学入学まで②下見に行く(受動的に)

大学入学まで③やりたいことを考える

大学入学:多摩へ&ママチャリの購入

 

大学入学まで①:筆者とランス・アームストロング

筆者は、高校時代は陸上競技をしていました。中長距離で、メインは1500m。

高2で県大会予選落ち、高3では怪我の影響もあって市大会止まりの、どこにでも居るランナーでした。

そんな筆者でしたが、高2まではろくに勉強せず。高3になって高校総体が終わって、ようやくまともに勉強し始めました。

筆者は英語が大の苦手で、高2の1月にセンター試験の問題を解いた時は70点台(200点中)でした。

そんな具合だったためいきなり入試レベルの英語など触れるはずもなく、まずは教科書を見返すことにしました。

その教科書に…いたのがランス・アームストロングでした。

アメリカ出身のロードレーサーで、プロになってから癌が発覚し一度は生死の境をさまよったものの復活、その後に世界最高の自転車レースであるツール・ド・フランスを7連覇した選手です(なおその後)。

英語の教科書に、ランスの自伝が載っていたのです。

黄色いウェア、無駄のない自転車、集団で走るレーサー。一目見て、文字通り一目惚れしました。乗ってみたい…と、その時思いました。

 

 

 

※ちなみに、なぜこのタイミングまで教科書のランスに気づかなかったかというと、ちょうど彼のドーピングが発覚した頃だったため、この章を授業では扱わなかったからです…。

 

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大学入学まで②下見に行く(受動的に)

筆者は高校3年間、ずっと自転車通学でした。

片道10km以上、練習で競技場へゆく日だと片道15km以上の道をママチャリで走っていました。

そんな筆者のママチャリは、高校3年になる頃にはすっかりガタガタになっていました。タイヤのパンクを数ヶ月に1回繰り返す有様。

 

当時はパンクを自分で直せる技量がなかったため、都度自転車屋さんに持ち込んでいました。

重いママチャリを押して山の上にある自転車屋さんを訪れた筆者は、ランスの自伝を思い出し、店内を見て回りました。

奥まったところに、天井から1台の自転車が掛けてありました。

筆者がはじめてロードレーサーというものの実物を、興味を持って見たのがこの時です。

湾曲したハンドル、無駄のない細いタイヤ、写真で見たのに違わず実物は美しいなと感じました。

乗ってみたい…と思ったところでプライスタグを見て、8万円台という数字に現実に引き戻されました。

 

そのまま店内を見て、ハンドルが真っ直ぐの自転車があることに気づきました。タイヤも細くて軽く走りそう。

これも十分格好いいし、4万円代なら受験生のあいだずっと貯金すれば買えるのではないか。

ロードレーサーは難しいとしても、これを買おう。そう決めました。

 

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大学入学まで③やりたいことを考える

筆者は高校生の段階ではまだスマホを持っておらず、実家でもインターネットを自由に使いたいだけ使えるような環境にはありませんでした。インターネットというそのものに不慣れでした。

そんな中でも拙い検索技術を総動員して、自転車屋さんで見たハンドルがまっすぐな自転車が「クロスバイク」という代物であることは掴みました。

クロスバイク

 

筆者は地図を読むのが好きで、勉強に疲れるとよく眺めていました。

志望大周辺の地図を見ては、そこで自分がクロスバイクを手にしたら何処に行くか考えるのが、受験生の頃の楽しみでした。

 

筆者の実家は、東日本全体の広域地図がありました。関東にあった筆者の志望大から仙台の実家まで、道を辿ることが出来る地図でした。

大学から仙台までの道を辿って、何度も定規を当てて距離を測って、その時思ったのが「いつか大学のあるところから仙台まで自転車で帰ってきたい」でした。

これが筆者の夢になります。

 

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大学入学:多摩へ&ママチャリの購入

第一志望の大学には届かず、多摩地域にある大学へ入学しました。

受験生時代の貯金は思ったほど貯まらず、卒業式のためにコンタクトレンズを購入したのもあって、結局手元に残ったのは2万円ほど。クロスバイクには全然届きませんでした。

実家で使用していたママチャリは流石に寿命だったのと、輸送費もかさむため多摩には持ってきませんでした。しかし、喫緊の問題として通学のために自転車が必要だったため、やむを得ず2万円を崩してママチャリを購入しました。

こだわりは2つ「バーハンドルであること」「6段変速であること」です。

高校生の頃使っていたママチャリはアップハンドル(手前に湾曲しているハンドル)でした。しかし上体が起き上がって走りにくいことこの上なく、次は絶対にバーハンドルにしよう、と決めていた次第です。

また、高校生の頃は内装3速でしたが、坂などにかかる度微妙な調整が効かず大変苦労しました。その反省から、比較的微調整の効く6速に拘って購入しました。

なんの変哲もないママチャリですが、乗って、駆け出した時。

バーハンドルの力の入れやすさ、6段変速のスムーズさに心底感動しました。

よくママチャリからスポーツバイクに乗ると感動すると言いますし自分もその記憶はありますが、自分の場合ママチャリ→ママチャリの乗り換えでもとても感動したものです。

なお、このママチャリが今でも使用しているママチャリ、自分が現在所持している中ではいちばん古い自転車になります。

ともあれ、ママチャリを手にした筆者。ここから筆者のサイクルライフがはじまります。

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※記事の画像は「いらすとや」様よりお借りしました。

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