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SNS が「秋名のハチロク」を過去のものにしたハナシ

よければ、聴きながらご覧くださいませ。


m.o.v.e / Rage your dream

「秋名のハチロク」とは

 

知る人にとっては言わずもがなだろうが、一応説明を加えておくと、"秋名のハチロク"は有名漫画「頭文字D」に由来する。

 

この漫画は所謂「走り屋」による峠のレースを題材としたものである。

 

天才的な運転技術を持ちながら走り屋としての自覚は無く、走り屋として知られてもいなかった主人公の藤原拓海が、突如峠の世界に彗星のように現れて、作中数々の強敵を打ち破ってゆくことから、やがて「夢」を見出してゆく物語。

…という言い方で良いだろう。大まかに説明するならば。

 

主人公の愛車が「AE86」(現トヨタ86とは違う、1980年代の車)であり、作中数々の強敵に打ち破ってゆく過程で「秋名のハチロク」というが周知されてゆく。

 

▼(参考)AE86

www.goo-net.com

 

2010年代はSNSの時代

 

筆者が小学生の頃は、まだパソコンは分厚かった。

インターネット自体は90年代からあったが、2000年代初頭の段階で積極的に活用している人は、周囲にはそう多くなかった。

小学校時代、調べものをするといえば、まだ基本は紙媒体頼りだった。

(※多分自分の周囲にいた大人が、かなり守旧的な人たちばかりだったのもある)

 

軽く調べてみるとノートパソコンの出荷台数は2000年時点でデスクトップパソコンを追い抜いたそうだが、筆者としては2000年代中盤あたりから多くなったような感がある。

筆者が中学生に上がる頃には、何かを調べる時にはインターネットを使うことが多くなった。

 

そして、2010年代。

Twitterが2000年代終盤に登場し、爆発的に普及した。

スマートフォンが普及し、大容量データの送受信が年を追うごとに容易となったことで、インターネットやSNSはより身近な存在となった。

 

というよりも、最早なくてはならないものとなっている。

 

SNS時代で、僕たちが喪ったもの

 

誤解なきよう付記しておくと、筆者はSNSが好きだ。

休みの日は絶えずTwitter、インスタ、Facebookを行き来して時間を飛ばすような最早依存症に近い人間だったりする。

しかし、過渡期を見てきた上、使い込んでいるからこそ、SNSが我々から喪わしめたものも感じることが多い。その一つが"秋名のハチロク"だ。

 

「秋名のハチロク」が現代だったら

「頭文字D」は、名言されていないが1990年代あたりが舞台だと思われる。

「Running in the 90's」 という、アニメ版を見た人で知らない人は多分ほぼいない有名な挿入ユーロビートの存在や、初期にFD3Sを最新鋭として扱っているあたりから、察せられる。

主人公「秋名のハチロク」の存在は噂となって群馬の峠にひろがってゆくが、この噂の伝達は、同じ場所での体験や、口頭伝授を基本として描写されている。

 

2chのような掲示板は90年代終盤のインターネット黎明期からあるものだが、作中を見る限り、1期段階で高橋涼介以外はPCを持っているようには見えない。

インターネットの一般家庭における普及率は1997年段階で10%程度であり、2000年には80%程度と、急激に上昇するのだが、作中舞台は、まだ完全には普及していなかった時代であると思われる。

噂の伝達が、口頭やマスメディア主体だった、最後の時代だといえると思う。

 

仮に2020年世界で「秋名のハチロク」が登場したら、どうだろうか?

写真や動画をついて、Twitterなどで速報されるだろう。

走行タイムはGPSを用いたアプリで共有されるのではないだろうか。

(ロードバイクの「ストラバ」を念頭に置いて書いている)

本人の姿や友人のコメント等も容易に集まりそうで、藤原拓海がアンノウンのまま戦い続けるという事態は無いように思う。

 

SNS が喪わしめたものは、"神格性"

 

これらのデータは、全国、ないし全世界規模で共有される。

人を丸裸にするのが格段に容易になったといえる。

また、大袈裟に言えば、世界ナンバーワン以外はナンバーワンでないことが容易に可視化されるようになったといえる。

 

つまり、SNSの隆盛は、小さなコミュニティでのカリスマの神格性を、喪わしめたと言える。

 

それはいい方向に言えば偽りのヴェールを剥いだということになるのだろうが、面白みのなさを生んだのも事実であろう。

 

例えば頭文字D、特に1期の面白さは得体の知れない存在である「秋名のハチロク」が、ドライバーとして高い名声を得ている相手や、より高い性能を持つ車に乗った相手、相手の地元である峠でのバトルなどの悪条件に打ち勝ってゆくことだと思うが、

 

SNSがある時代であれば、そもそも「秋名のハチロク」はアンノウンにならないし、ドライバーとして高い名声を得ている相手にしても、〇〇さんは絶対負けない、などと言わせるレベルではないことを可視化されているだろうと思う。

 

そんな世界観が、面白いだろうか?

面白くないと思うのだが、これが現代社会である。

 

 

あとがき

 

何か前向きに提示する文章ではない。

そもそも、神格性の排除は、よく言えば偽りの排除だから、「改善すべき事態」にあたらないのではないかとも思われる。

 

2020年代もしばらくは続きそうなSNS時代は、怖くなった時代であるし、面白い時代でもあるし、つまらなくなった時代でもあると思う。

 

この件は、ぱっと考えた限りでは「改善すべき事態」ではないようにも思われるが、この他の"怖くなった"、"つまらなくなった"部分については、洗い出した上で、そのあり方をよく考えてみる必要があるとは思う。

 

それこそが、より生きやすい社会や、次にメジャーとなるコミュニケーション手段の登場に繋がるものではないだろうか。